【下野康史の旧車エッセイ】 いすゞ・ベレットGT

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記事提供元/くるくら
文/下野康史

 

自動車ライター下野康史の、懐かしの名車談。東京五輪の年に生まれた、国産車初の「GT」。

 

いすゞ・ベレットGTのイラスト

イラスト=waruta

 

「いすゞ」というと、スマホ世代は「トラックの会社」と思っているかもしれない。だが、本格的な自家用車時代が訪れようとしていた1960年代、いすゞは業界の牽引役だった。当時、国産メーカー御三家といえば、トヨタ、日産、そしていすゞを指したのだ。

 そのころ、クルマ好きに強いインパクトを与えたいすゞ車が、ベレットのスポーティーモデル"GT"、通称「ベレG」である。東京オリンピックの64年に出たこのクルマは、国産車として初めて「GT」を名乗ったクルマでもあった。

 新車のベレGを見たのは、小学生のころである。稀少な高性能モデルだけに、フツーのベレットのようにはお目にかかれない。たまに目撃すると、クラスの自動車小僧に自慢できるクルマだった。

 昔のクルマは小さい。独立したトランクを持つノッチバックのクーペなのに、全長は4mそこそこ。全幅は1.5mしかない。しかし、流れるようなラインの尻すぼみフォルムは、個性的で、美しかった。水滴型というか、流星型というか、止まっていても、疾走感があった。子どもの低い目線のせいか、斜め後ろからだと、ちょっと上を向いているように見えた。ちばてつやの「紫電改のタカ」を愛読していた小学生には、その姿がこれから離陸する尾輪式戦闘機みたいで、カッコよかった。

 見るだけだった思い出のアイドルに初めて乗れたのは、30年後の90年代半ばである。試乗のチャンスを与えてくれたオーナーは、ぼくと同じ歳。クルマは、手に入れてまもない65年型1600GT。憧れを憧れで終わらせなかった人の愛車である。

 だからってお世辞をいうわけではないが、ベレGは想像していた以上にすばらしいクルマだった。SUツインキャブの1.6ℓ4気筒OHVは、シューンという滑らかさで6000rpm以上まで回った。

 ステアリングはもちろんノンパワーだが、適度に軽く、気持ちよく反応する。据え切りで腹筋を使う必要もなかった。

 その後、ベレットオーナーズクラブの副会長が所有する1600GTRにも乗せてもらった。73年までつくられたベレットの終盤に登場する1.6ℓDOHCの高性能モデルである。88psから120psへの伸びシロは額面以上に感じた。猛獣みたいな吸気音もスゴかったが、音だけではなく、その後、数多く登場する国産2バルブDOHCとしては最も高回転のきくエンジンだったと思う。

 エンジンが回らなかったり、ステアリングが重すぎたり、曖昧だったり、60~70年代の国産旧車に乗ると、「ン、これは?」と感じることも多い。

 でも、ベレGはそうではなかった。60年代に日本はこんなすばらしいクルマを設計していた。そういうクルマをほかに挙げろと言われたら、ぼくの経験では、日野コンテッサ1300クーペが思い浮かぶ。どっちも乗用車づくりからは手を引いてしまったメーカーの作である。なにかの偶然だろうか。

『国産車初GT』のインパネ周り。大小7つのメーターが、スポーティモデルの証。

『国産車初GT』のインパネ周り。大小7つのメーターが、スポーティモデルの証。

1600GT(上)と、DOHCエンジンを搭載した1600GTR(下)。テールに向かってなだらかに下がっていくボディラインが、かつての戦闘機を思い起こさせる。

1600GT(上)と、DOHCエンジンを搭載した1600GTR(下)。テールに向かってなだらかに下がっていくボディラインが、かつての戦闘機を思い起こさせる。

セダン、クーペ、バンと、ボディのバリエーションが豊富だったベレットファミリーの異端児がベレットMX。東京モーターショーに出展されたものの、市販されることはなかった。

セダン、クーペ、バンと、ボディのバリエーションが豊富だったベレットファミリーの異端児がベレットMX。東京モーターショーに出展されたものの、市販されることはなかった。

 


 

文=下野康史 1955年生まれ。東京都出身。日本一難読苗字(?)の自動車ライター。自動車雑誌の編集者を経て88年からフリー。雑誌、単行本、WEBなどさまざまなメディアで執筆中。

 


 

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※この記事は、くるくらに2016年12月12日に掲載されたものです。