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【下野康史の旧車エッセイ】ホンダ・初代シティ

記事提供元/くるくら
文/下野康史

 

自動車ライター下野康史の、懐かしの名車談。原付バイクも載せられた、80年代コンパクト「ホンダ・初代シティ」。

 ホンダ・シティのイラスト

イラスト=waruta

 

初代シティが発売された1981年、ぼくは自動車専門誌の編集部員だった。雑誌社には、世界中からクルマのニュースが集まってくる。入社4年目で、情報の洪水にはそろそろ慣れっこになっていても、シティの登場は鮮烈だった。

3ドアハッチバックボディの全長は、いまの軽自動車より短いのに、全高は当時のシビックより12cmも高い。大型犬の子犬みたいな、あんなプロポーションの国産コンパクトカーは、見たことがなかった。

イギリスのマッドネスが歌って踊った「ホンダホンダホンダホンダ~♪」というTVコマーシャルも話題をさらった。あのムカデダンスは、当時、ドリフターズが『8時だヨ! 全員集合』で真似をした。そんなせいもあって、シティの人気は年齢を問わなかった。

5年近くのライフスパンに、シティは次々と派生モデルを増やしてゆく。低燃費モデルの「EI」を加える一方、高性能な「ターボ」を出し、その舌の根も乾かぬうちに、もっとスゴイ「ターボⅡ」を出した。

エンジンだけでなく、ボディバリエーションも拡充する。デビュー1年後には、高い屋根をさらに10cm上げた「マンハッタンルーフ」を追加した。モデル後期の84年にはピニンファリーナ・デザインのカラフルな「カブリオレ」を出して、再びシティに熱い視線を注がせた。  

編集部には長期テスト車のシティRがいた。おかげで、鈴鹿や富士のレース取材によく使わせてもらった。都内では、たまにモトコンポにも乗った。全長はモンキーよりも短い118.5cm。ハンドルを畳むと、シティの荷室にピッタリ収まるオプションの原付バイクである。御存知ホンダは2輪車もつくっている。そして、日本の普通免許には原付免許がもれなく付いてくる。ならば、クルマとバイクをセットにしようという世界初の試みである。こういう頭の柔らかさと、それを製品化する実行力はホンダならではといえた。

数あるシティのなかで、個人的にいちばん印象深いのは、「ブルドッグ」の愛称で親しまれたターボⅡである。空吹かしすると、やっぱり大型犬の子犬が吠えるような「ウォンウォン」という音を立てる1.2ℓ4気筒を、インタークーラー付きターボでチューンした。当時のホンダ車としてはトルク重視だったロング・ストローク・ユニットをターボで無理やりギュイーンと回すようなエンジンが痛快だった。フル加速するとハンドルがとられるじゃじゃ馬だったが、それもスパイスだと思った。

110馬力のターボⅡは、その1年前に出たインタークーラーなしの「ターボ」より10馬力パワフルだった。派手な段付きリアフェンダーやサイドステップで5cmワイドになったボディも、ターボを買ってしまった人には目の毒だった。魅力的なモデルが次から次へと現れるので、いつ買っていいのか、悩ましい。そんなキャラクターは、いまでいうとiPhoneあたりに通じるものがあった。

80年代の日本車で、いちばん多くの人に愛されたクルマが、初代シティだったのではないかと思う。

Hondaシティの写真

Hondaシティのリアゲート、モトコンポがのっている写真

2本の柱で支えられたフェンダーミラー(デュアルステーフェンダーミラー)が特徴的な、シティR。トランクには原付バイク「モトコンポ」が載せることができた。

Hondaシティの写真

Hondaシティカブリオレの写真

ハイルーフ(マンハッタンルーフ)やカブリオレ、上のイラストに描かれているワイドフェンダーの「ブルドッグ」も追加設定され、派生モデルが広がっていった。

Hondaシティの車内

hondaシティのインテリアパネル部分の写真

ターボⅡの内装のテーマは「スポーティ&モダン」。リアシートは取り外して外で使うこともできる。インパネにはトレイやポケットがあちこちに設けられていた。

 


 

文=下野康史 1955年生まれ。東京都出身。日本一難読苗字(?)の自動車ライター。自動車雑誌の編集者を経て88年からフリー。雑誌、単行本、WEBなどさまざまなメディアで執筆中。

 


 

※この記事は、くるくらに2017年5月10日掲載されたものです。