【下野康史の旧車エッセイ】ダイハツ・初代シャレード

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記事提供元/くるくら
文/下野康史

 

自動車ライター下野康史の、懐かしの名車談。省エネブームで大人気、リッターカーのさきがけ「ダイハツ・初代シャレード」。

ダイハツ・初代シャレードのイラスト

イラスト=waruta

いまは違うかもしれないが、40年ほど前は「イエス」といえば、「シャレード」だった。1977年11月に登場したダイハツ・シャレード。ハーフの美人女性タレントが「イエス、シャレード!」と言うコマーシャルで話題を呼んだダイハツのコンパクトハッチである。

当時、このクラスで売れていたのは、ホンダ・シビックとマツダ・ファミリア。シビックはFFで標準エンジンが1.2ℓ4気筒。ファミリアはまだFRで、1.3ℓ4気筒だった。

そんななかに現れたシャレードは、3気筒の1ℓ(993cc)エンジンで前輪を駆動した。4ストロークの1ℓ3気筒は、当時、世界的にも例がなかった。

もうひとつ、このクルマのキャッチコピーは「5㎡カー」(ごへいべいカーと発音する)である。全長3640mm×全幅1510mmの5ドアボディは、四捨五入すると5㎡。3m×1.3mだった軽自動車よりはずっと大きかったが、シビックの5ドアやファミリアよりもコンパクトだった。その"敷地"の中に、身長175cmの大人が前後にゆったり座れるキャビンを実現した。

つまり、シャレードのコンセプトは、ベイシックカーとして無駄な贅肉をそぎ落とすことにあった。エンジンの最高出力は55ps。いまの軽自動車と変わらないが、車重は最軽量グレードで630kgに収まる。後輪駆動のファミリアより200kg近く軽かった。『もう豪華さや、大排気量や、見かけの大きさで車を選ぶ時代ではありません』。登場時の広告にはそう書かれている。40年前にそんなふうに諭す日本車だったのだ。

78年に自動車専門誌の編集部に入ると、長期テスト車としてシャレードが活躍していた。新人の筆者もたまにステアリングを握らせてもらった。ひとことで言うと、シンプルなクルマだった。シンプルだけど、何かが不足することはなかった。いまで言えば、無印良品のようなリッターカーだった。

シャレードのエンジンは、クランクシャフトの隣に同一回転で逆に回るギア駆動のバランスシャフトを設けて、3気筒特有の振動を打ち消している。レース取材で東名を使って鈴鹿サーキットを往復したこともあったが、ノイズや振動でネガティブな印象は残っていない。5段MTをマメに動かしてエンジンを回せば、町なかでもきびきびよく走った。

ここ最近、日本車でも外国車でも、4気筒を3気筒にダウンサイジングしたコンパクトカーが増えている。エンジンが軽量小型化され、部品点数が減って機械的抵抗が低下する、なんていう3気筒化のメリットを聞くと、初代シャレードの技術説明と同じだなあと思う。シャレードは進んでいたのである。

タイムマシンがあったら、新車のシャレードを連れてきて、フォルクスワーゲンup!やプジョー208やミニやスズキ・スイフトや三菱ミラージュなど、21世紀の最新3気筒コンパクトハッチと比較テストをしてみたい。いまでもキラリと光るところがあるはずだ。

"広くて小さい快適な経済車"(当時のリリースより)を目指して開発された。初期のモデルはライトが丸型となる。

"広くて小さい快適な経済車"(当時のリリースより)を目指して開発された。初期のモデルはライトが丸型となる。

1978年には冒頭のイラストにあるクーペが追加。80年のマイナーチェンジでは角型ライトに変わり、印象が変わった。

1978年には冒頭のイラストにあるクーペが追加。80年のマイナーチェンジでは角型ライトに変わり、印象が変わった。

 


 

文=下野康史 1955年生まれ。東京都出身。日本一難読苗字(?)の自動車ライター。自動車雑誌の編集者を経て88年からフリー。雑誌、単行本、WEBなどさまざまなメディアで執筆中。

 


 

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※この記事は、くるくらに2017年10月11日掲載されたものです。