記事提供元/くるくら
文/下野康史
自動車ライター下野康史の、懐かしの名車談。今回は「ホンダ・S800」。
イラスト=waruta
ランナーズハイならぬ、ドライバーズハイ。いつもの景色が"違って見える"ほどの運転体験。クルマ好きなら、そんな経験をしたことがある人も少なくないはずだ。ぼくの場合、初めてエスハチを運転したときが、それだった。
1970年代半ばの学生時代、親友のお兄さんがエスハチを持っていた。当時としてもコンパクトだった黄色いオープンカーは、ガレージで見かけるたびに心ひかれた。そんな気持ちがお兄さんにも伝わったのか、ある日、太っ腹にも「乗っていいよ」とキーを預けてくれたのである。
親友はクルマに興味がなく、免許も持っていなかった。おかげで、だれに気兼ねすることもなく、ヒトサマのエスハチを単独デートに連れ出すことに成功した。
免許をとって、まだまもないころである。エスハチに関しても、深い知識があるわけではなかった。初期型お宝のチェーンドライブか、一般的なリジッドか、なんてことも知る由はない。ただ、走り出してすぐにもわかったのは、当時、乗り回していた"家のクルマ"(かなりくたびれた国産GTセダン)とはまったく違うことだった。
まずびっくりしたのは、エスハチの4連キャブ4気筒DOHCが、ウチの2000ccシングルキャブ6気筒と比べると、天井知らずにどこまでも回ることだった。あまりに抵抗なく上まで回るので、いったいどこでシフトアップしていいのやら、困ってしまうほどだった。エンジンに「高回転型」と「トルク型」がある、なんてことも知らなかった駆け出しのクルマ好きにとって、それはびっくりしたというよりも、不思議な感覚だった。ヘーッ、同じエンジンでも、こんなに性格の違いがあるのか、と。ストロークの短い、小気味よくキマる4段ギアボックスのシフトタッチも、うらやましかった。
だが、小一時間の経験で、なにより鮮烈だったのは、生まれて初めて味わうオープン走行である。風は冷たいが、陽射しは暖かい、オープンカーを走らせるには最高の日だった。エスハチの低いコクピットから見ると、走り慣れた道の景色に、キラキラしたフィルターがかかっているように感じた。屋根がないクルマって、こんなに楽しいのかと、ただただ圧倒された。クルマの表情や、天気や空気の印象だけでなく、あの日、自分が何を着ていたかまで、ぼくはいまでも鮮明に記憶している。エスハチが、あの時間にあったすべてを焼き付けてくれたのだと思う。クルマにはそういうパワーがあるのである。
クルマ好きなら、一度はオープンカーに乗って欲しいし、一度でもオープンカーに乗れば、必ずやクルマ好きになる。いま流行りの言葉を使えば「ノー・オープンカー、ノー・ライフ」である。オープンカーを知らずして、なんの人生か。ぼくの心にあるそんな信念は、このときのエスハチ体験によるものである。
文=下野康史 1955年生まれ。東京都出身。日本一難読苗字(?)の自動車ライター。自動車雑誌の編集者を経て88年からフリー。雑誌、単行本、WEBなどさまざまなメディアで執筆中。
(この記事はJAF Mate Neo 2015年7月号掲載「僕は車と生きてきた」を再構成したものです。記事内容は公開当時のものです)
※この記事は、くるくらに2019年07月04日に掲載されたものです。