記事提供元/くるくら
文/下野康史
自動車ライター下野康史の、懐かしの名車談。今回は「三菱・ギャランGTO」。筆者の公道デビューを飾った同車の魅力はどこにあったのか。甘酸っぱい思い出とともに紹介する。
イラスト=waruta
三菱自動車はキラキラネームならぬ、なつかしネームの宝庫である。ディアマンテ、エクリプス、シグマ、 コルディア、トレディア、シャリオ、スタリオン、セレステ、ラムダ、デボネア......、車名だけでもザクザク 出てくる。VR4、サイボーグ、なんていうグレード名もありました。アストロン、サターン、シリウス、GDIといったエンジンの愛称もなつかしい。逆に言うと、復活ネームの候補にはこと欠かないのが三菱である。
ギャランGTOもそんななつかしネームをまとうヒストリックな三菱車だ。1.6Lのスポーティな2ドアクーペとして1970年に登場し、エンジンを拡大しながら76年までつくられた。当時のフォード・マスタングを団地サイズにしたようなスタイリングが特徴で、最大のライバルは初代トヨタ・セリカ。いま振り返ると、排ガス対策に翻弄された70年代を共に生きた戦友同士ではなかろうか。
ギャランGTOのステアリングを初めて握ったのは、忘れもしない74年11月のある晩のことである。しかし、それがどんな車だったかはまったく覚えていない。
当時、ぼくは仮免許取り立てだった。友人のお兄さんが持っていた1700XⅡに手書きの仮免プレートを付け、夜の横浜をおっかなびっくり走った。いや、走らせてもらったのである。つまり、ギャランGTOの助手席に教官役の友人兄を乗せて、路上教習コース以外の公道を初走行した。運転にいっぱいいっぱいで、車の印象どころではない。覚えているのは、対向車に再三、パッシングされたこと。おそらくハイビームのまま走っていたのだろう。
クルマ好き憧れの的だったギャランGTOをせっかくその現役時代に体験できたのに、車のインプレッションゼロとは情けないが、事実上の公道デビューがギャランGTOだったというのはちょっと自慢である。
その後、90年代の半ばに雑誌の取材で、あるオーナーを訪ね、74年型の2000GSRに試乗するチャンスを得た。1.6LDOHCエンジンを搭載する"MR"にとってかわった高性能モデルである。
しかし、このときの試乗車はすでに歴20年で走行13万㎞。しかも買ったばかりで、これから手を入れるという個体だったせいもあり、125馬力の2L4気筒SOHCは高回転で重かった。でも、トルクは下からモリモリと分厚く、中嶋悟が通ったという愛知県内のワインディングロードで豪快な走りを味わわせてもらった。
ぼくと同世代のオーナーは岡崎工場に勤務する三菱自動車のエンジニア。免許を取ってすぐに新車のGSRを手に入れて、5年間乗ったという。つまり、そのGSRは彼にとって2台目である。トヨタでもない、日産でもない、ホンダでもない、ワタシは三菱のクルマをつくりたいという現場には、こういうコアな三菱ファンが多かった。
車名は三菱東京UFJ銀行の預金量並みに豊富だ。三菱、ガンバレ。
文=下野康史 1955年生まれ。東京都出身。日本一難読苗字(?)の自動車ライター。自動車雑誌の編集者を経て88年からフリー。雑誌、単行本、WEBなどさまざまなメディアで執筆中。
(この記事はJAF Mate Neo 2016年3月号掲載「僕は車と生きてきた」を再構成したものです。記事内容は公開当時のものです)
※この記事は、くるくらに2019年8月6日に掲載されたものです。