記事提供元/くるくら
文/下野康史
自動車ライター下野康史の、懐かしの名車談。高度経済成長期を飛び回った「てんとう虫」。
イラスト=waruta
スバル360の細いステアリングを初めて握ったのは、いまから20年前の90年代半ばである。越後湯沢に住む博覧強記の自動車評論家、川上 完(1946~2014)さんが所有するクルマだった。
川上さんは、ほかにもサーブ96と、英国のブリストルをお持ちだった。共通するのは、いずれも航空機づくりの息がかかったクルマであること。1958年にスバル360を発表した富士重工の前身は、戦闘機"隼"で知られる中島飛行機である。
ログハウスの御自宅へお邪魔して、試乗を開始すると、ツートンカラーのスバル360は、壊れていた。クラッチが滑っていて、加速が効かないのである。「ゴメンゴメン」。肩が触れるような助手席で、大柄なオーナーが言った。お客を迎えるのが大好きだった稚気愛すべき"完ちゃん"らしいエピソードだった。
その後ほどなく再挑戦したのは、後期型の68年型スタンダード。クルマの年式より1歳年上のオーナーからお借りして、半日、ドライブさせてもらった。
360cc時代の軽は、笑えるほど小さい。スバル360も、運転席に座ったまま、助手席のガラスはもちろん、リア窓にも手が届く。逆ヒンジのドアは、間口の狭いボディでもラクに乗り降りさせるためのソリューションだった。
すでに30年物の旧車だったが、リアにマウントされた356cc空冷2ストロークは、思いのほかスムースに吹き上がった。今度はクラッチが滑ることもなく、加速した。といっても、25psだから、スピードは知れている。
いちばん感心したのは、乗り心地のよさである。車重は410kg。軽量で売る最新のスズキ・アルトより200kg以上軽い。にもかかわらず、腰から下の挙動には、しっとりした落ち着きがある。荒れた舗装路でも鋭い突き上げはない。
スバル360の後輪には強いポジティブキャンバー(逆ハの字)がついている。極端に内股な人、みたいで、子どものころ、カッコわりィと思ったものだが、その足まわりが、乗ると光っていた。「日本人の初代マイカー」としてスバル360が長く愛された理由のひとつは、体にやさしいこの乗り心地だったと想像する。
都内から湘南方面までは遠出するというオーナーに勇気をもらって、第三京浜に乗り入れた。しかし、高速走行はスリリングだった。最高速は110km/h(カタログ値)だが、制限速度の80km/hで走っていても、フロントが浮き気味になっているのがわかる。軽いハンドルがさらにフィールを失って軽くなっている。軽量なリアエンジン車の宿命だ。「ハイウェイ時代」以前の設計なのだから、仕方ない。
スピードを上げて、まわりが騒がしくなると、ボディの薄さも強調された。沖合で働く漁師の「板子一枚、下は地獄」という言葉を思い出した。
ドアも薄い。「側面衝突安全性」なんて言葉はまだない時代だったから、これも仕方ない。ふだんは国産SUVに乗るオーナーに聞いたら、たしかにそのへんは怖いと言ったが、現役時代の昔は、そんなに怖くなかったのだ。ぶつかってくるのもスバル360だったから。
文=下野康史 1955年生まれ。東京都出身。日本一難読苗字(?)の自動車ライター。自動車雑誌の編集者を経て88年からフリー。雑誌、単行本、WEBなどさまざまなメディアで執筆中。
※この記事は、くるくらに2016年7月12日に掲載されたものです。