記事提供元/くるくら
文/下野康史
自動車ライター下野康史の、懐かしの名車談。スーパーカーブームの立役者「ランボルギーニ・カウンタック」。
イラスト=waruta
1970年代後半のスーパーカーブームで、スーパーカーキッズに大人気の1台が、ランボルギーニ・カウンタックだった。
自動車の概念をぶち壊すようなマルチェロ・ガンディーニ作のスタイリング。映画撮影で使うカチンコのように開くドア。"いかにもスーパーカー"に見えるところが当時のキッズの心を捉えたのだと思う。
カウンタックは、ランボルギーニヒストリーのなかでもとりわけ重要なモデルである。ミウラの後継モデルとして74年に生産が始まり、ディアブロにあとを任せるかたちで90年に生産を終えた。こんなに長生きしたランボはほかにない。
カウンタックを初めてちゃんと運転したのは、80年代の後半、最後のカウンタックともいえる5000クワトロバルボーレだった。雑誌の取材のためにツテを辿って、クルマを見つけると、太っ腹のオーナーが、好きに乗って、撮っていいよと、愛車を託してくれたのである。
初代ホンダNSXも、スカイラインGT‐R(R32)もまだなかった当時、455馬力の5167ccV型12気筒で走るカウンタックは、まさに超弩級だった。運転感覚をわかりやすく伝えると、ある意味、エンジンを運ぶために走っている、ようなクルマである。12本のシリンダーと、48本のバルブと、6基のキャブレターを持つ5.2ℓ V12は、それくらい強烈な存在感を放っていた。
最終型カウンタックのボディ全幅は2m。345/35という太い後輪を覆うオーバーフェンダーのせいである。それだけのタイヤを履いていても、タイトコーナーでアクセルを開けると、簡単にテールアウトの姿勢をとろうとする。おっかないったらない。燃料タンク容量は120ℓ。満タンにしたら、2万円近くとられた。
まる1日、カウンタックと格闘したら、リーガル革シューズのトップに折れ皺ができた。フットレストを踏んじゃったのかと思うほど重いクラッチペダルのせいである。ノンパワーのステアリングはそれでなくても重いのに、緊張で強く握り過ぎたせいか、掌にはかるくマメができていた。心に残るだけじゃなく、体にも残るクルマだった。
21世紀のいまもスーパーカーは健在だ。性能はさらに向上し、しかもオートマで4WDでアイドリングストップ付きで、およそ乗り手を選ばないクルマになりつつある。しかし、昔のスーパーカーはタイヘンだった。お金を持っているだけじゃ乗れないクルマだったのだ。
5000クワトロバルボーレとの対決からほどなく、こんどはLP400に乗るチャンスがあった。エンジンは385馬力の3929cc V12。お尻の羽根もオーバーフェンダーもまだ付いていなかった74年のオリジナルカウンタックである。
いきなりワインディングロードを走ったのに、5000クワトロバルボーレと比べると、ライトウェイトスポーツカーのようにコンパクトで軽快だった。小型車好きとしては、これならちょっとほしいなと思った。カウンタックといっても、最初と最後ではあんなに違う。宿命のライバル、フェラーリを追いかけて、成長し続けたスーパーカーならではである。
文=下野康史 1955年生まれ。東京都出身。日本一難読苗字(?)の自動車ライター。自動車雑誌の編集者を経て88年からフリー。雑誌、単行本、WEBなどさまざまなメディアで執筆中。
※この記事は、くるくらに2016年10月11日に掲載されたものです。