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【下野康史の旧車エッセイ】 ダイハツ・ミゼット

記事提供元/くるくら
文/下野康史

 

自動車ライター下野康史の、懐かしの名車談。今回は「ダイハツ・ミゼット」。

 

ダイハツ・ミゼットのイラスト

イラスト=waruta

 

昭和30年代から40年代、商店や農家の働き手として活躍した三輪軽トラックが、ミゼットである。

登場したのは昭和32(1957)年。屋根もドアもなかったバーハンドルのオリジナルDKA型は、足を着かなくていいオートバイ、くらいの三輪車だったが、2年後には丸ハンドルで横2人がけのMP2型にモデルチェンジする。"トライモービル"の名でアメリカにも輸出されたこのMPシリーズは、71年まで生産され、ミゼットの代名詞になった。ダイハツ工業初のヒット作ともいえる。

映画「ALWAYS 三丁目の夕日」に出てくるミゼットは、いつもピカピカの"新車同様"だが、高度経済成長期の現役時代は、容赦なく使われている車の代表選手がこれだった。

昭和30年代後半、中原街道近くの小学校に通っていた自動車小僧にとっても、ミゼットは「憧れのクルマ」ではなかった。ボクは日野コンテッサがいい、いや、いすゞベレットだ、と、口プロレスが始まる。ろくに見たこともないくせに、オレはムスタングだ、スチングレーだと差をつけるやつもいる。すると、「おまえはミゼットだろが!」とツッこむお調子者がいる。東京のヒネたクルマガキにとって、当時のミゼットはそんな存在だった。見方を変えると、タイヤは3つしかなくても、地に足の着いた車だったのだ。

雑誌の取材で、ミゼットのハンドルを初めて握ったのは90年代後半。埼玉県のお茶農家の若旦那が所有する程度のいい69年型である。

乗り込むと、その途端、400kgそこそこのボディが右にちょっと傾く。前1+後2という3輪レイアウトならではの御挨拶だ。

鉄板剥き出しのキャビンは、昔の観覧車みたいに狭い。そのなかでハンドルだけがやけに大きい。でも測ってみたら、直径37cmしかない。ハンドルが大きいのではなく、やっぱり部屋が小さいのだった。

エンジンは2ストロークの空冷2気筒305cc。回り始めると、車内は盛大なノイズと振動に包まれる。フニャッと軽いクラッチペダルを踏み、3段MTをローに入れ、走り出す。出力はたったの12ps。カタログ値の最高速も65km/h。ビィーンという2ストサウンドや、排気管から噴出する2ストスモークの派手さに比べたら、加速はショボイ。350kg積みの荷箱に重い荷を積んで走った現役当時は、さぞやイッパイイッパイだったろう。

おもしろかったのは、意外やソフトな乗り心地だ。しかも3輪レイアウトのおかげで、キャビンは横方向に微妙に揺れ、独特の浮遊感をもたらす。なんとなく屋根を吊られていると感じれば、小さなヘリコプターのようでもある。

Uターンしたら、ウソみたいに小回りができて、驚いた。最小回転半径は2.7m。いまいちばん小回りがきく車は、昨年末に出た新型スマートだが、あれだって3.3mを要する。路地裏性能は、60年前のミゼットにかなわないのである。

 

ダイハツ・ミゼット

 


 

文=下野康史 1955年生まれ。東京都出身。日本一難読苗字(?)の自動車ライター。自動車雑誌の編集者を経て88年からフリー。雑誌、単行本、WEBなどさまざまなメディアで執筆中。

 


 

※この記事は、くるくらに2016年4月15日に掲載されたものです。