北極冒険家の荻田泰永さんが企画した「北極圏を目指す冒険ウォーク2019」に参加表明した若者は16名。そして何度かのミーティングを経て、最終的に遠征に参加するのは12名となり、残りの4名は遠征メンバーを日本からサポートすることになった。
そして出発をひと月後に控えた2月の中旬、北海道の牧場を借りて遠征メンバー全員による合宿が行われた。(前編はこちら)
私がお邪魔したのは合宿5日目だったが、この時点ではもうメンバー同士に距離感はなく、それぞれが自分の立ち位置を理解していて、12名という集団に機能的な動きができていた印象だった。とはいっても堅苦しさは一切ない。騒ぐときはみんなで騒いで仲のいいところも見せてくれた。
参加者に話を聞いてみた
彼らは全員、個性があり魅力的ではあったが、そのなかでもとくに興味を持った3名がいた。
そこでその3名には個別に「なぜ北極へ行こうと思ったのか?」、そして「行くことで何を得たいと思っているか?」ということをインタビューしてみた。
仲間のいいところを吸収して成長し、夢の実現に活かしたい
最初に話をうかがったのは諏訪 順也さん。諏訪さんがこの冒険を知ったのは2018年の4月頃だった。外回りの営業をしているとき、クルマのラジオから聞こえてきたのが番組ゲストで出ていた荻田さんの北極の話だった。
最初は「おかしな人がいるな~」と思っていたが聞いているうちに話に引き込まれたという。
そして番組の最後に荻田さんが「来年は若い人を何人か連れて北極へ行こうと思っている」と話したのを聞き、そこで「自分も行けるのかな」と思ったとのこと。
そこから一週間ほど北極行きのことを考えた。仕事のこと、家族への説明などいろいろ悩むことはあったが「とにかく話を聞いてみよう」と荻田さんに連絡をして会う約束をした。そして行くことを決めた。
諏訪さんは仲間と行動するのが好きな人で学生時代は部活もやっていたし、遊びに行くときもいつも仲間と一緒にいる。だから今回の冒険に仲間がいて、助け合っていけることは居心地のいいものだという。でも、北極まで行くのだから仲間との行動においてもこれまでとは違う何かを得たいと思った。
そこで頭に浮かんだのは遠征後のことだった。北極圏に行くために仕事を辞めてしまったので戻ってきたらまた仕事を探すことになる。だけどサラリーマンに戻る気はなかった。
諏訪さんは以前から外国人旅行者を迎える「ゲストハウス」の経営がしたいと考えていたが、これはひとりではできないこと。だからその夢をサポートしてくれるような信頼できる仲間も欲しかった。
それだけに「もし、この遠征でそんな仲間ができたら……」、諏訪さんは合宿の最中にそんなことも考えたという。とはいえ最初からそれを狙っていたわけではない。
合宿に参加して感じたことは「今回の仲間はみんなすごくて、発言の内容に感心したり、頭の回転の速さや行動力に驚いたりします。それらは自分にはないところなので、すごく頼りがいを感じます」と諏訪さんはいう。だから遠征後も彼らと一緒にやれたらいいなと思ったのだ。
でも「頼りにするだけでなくみんなのいいところは吸収したいし、自分がやれることでみんなの助けになれれば」という気持ちもある。本当に仲間というものが好きな人なのだ。
荻田さんの下についてメンバーをまとめる存在は不可欠
西郷さんは大学ではバイオに関する勉強をしていてその方面の企業から内定をもらっていた。しかしいろいろ考えて違う職種を選んだのだけど、やはり目指していた道と違うことからモヤモヤした気持ちがあった。
そこであるとき上司に悩みを相談したところ「考えすぎているようだから、休みをとって山でも歩いてきたらどうか」といわれた。
そして次の日のことだ。西郷さんの会社では月に一度、外部の人を招いて講演会を開いているそうなのだが、その日(2018年の2月)のゲストが荻田さんだった。
始まる前は「まったく興味がなかった」というが、聞いているうちに興味が出てきた。最後に「来年、若者を連れて北極圏へ行く」という話が出たときに、前日に上司からいわれたアドバイスが頭に浮かび「これか」と感じた。
そこでその場でA4の紙に、名前と電話番号、メールアドレス、そして“連れていって下さい”と書いて、講演が終わってエレベーターへ向かう荻田さんを追跡。ドアが閉まりかけたところで追いつき、ボタンをバンと押してエレベーターを止め、紙を荻田さんに差し出したのだった。
それがきっかけで遠征に参加することにしたが「準備や遠征にはそれなりの日数が掛かるので行くには会社はやめないとダメかな」と思っていたところ、会社からは休みというカタチでOKという話をもらえた。これにはすごく感謝しているという。
でも、あるとき相談した上司から「行くと決めたのはあの話がきっかけだろう? でも、北極とは驚いた。せいぜい熊野古道くらいのつもりだったんだぞ」と笑い話っぽくいわれたという。また、会社の会長にあいさつに行ったときも「話を聞いて行きたいという人は大勢いるけど、行くと決められる人は滅多にいない。がんばってこい」と声を掛けられたとのことだ。
合宿での西郷さんの行動を見ているとかなりリーダー的な動きをしていたが、これは流れでそうなったのではなく率先してやっていたことのようだ。
実は合宿前、極地での生活について勉強をしたい気持ちから、荻田さんを通して南極観測隊の隊長を務めた方に会う機会を作ってもらっていたが、そこでいわれたのがメンバーの中にリーダーがいることの大切さだった。
というのも隊長である荻田さんは極地での経験が豊富でもその経験のほとんどは単独行である。だからひょっとすると大勢を見ながら歩くことは想像以上に負担になるかもしれない。
極地では常に気を張り、あらゆる危険をかぎ分けて進むことが求められるが、メンバーでそれができるのは荻田さんだけ。でも、その人が他のことに気を取られていたらふだんは見つけられる危険を見落としてしまうかもしれない。だから荻田さんにいつもどおりの集中力を発揮してもらうことが全員の安全につながる。そんなことから「荻田さんの下についてメンバーをまとめる存在は不可欠」と指摘されたのだ。
西郷さんは研究職を目指していたので、どちらかというとひとりでコツコツ進むタイプだという。でも、今回はリーダーの必要性を知ってしまった。だから西郷さんはその役がこなせるよう自分をカエることにした。
でもそれは犠牲的精神ではない。きっかけをくれた会社、気持ちよく送り出してくれた上司、そして集まった仲間のために“やりたい”と思ったことなのだ。
目標を持つことが面白いことだと思うようになった
今回のメンバーのなかではいちばん大人しいイメージだったのが小菅さんだ。とはいえ影が薄いということではない。みんなでふざけているときは笑顔でいるし、荻田さんの話があるときには荻田さんの側にいてしっかり聞こうとしている。大人しいけど社交性もあり熱心さもある人だ。
そんな小菅さん、大学生をしていたがこれを続ける目的がわからなくなり、中退という道を選択。感受性の高い人が陥りやすい、いわゆる無気力状態でもある。だから学校をやめたあとも何をやったらいいのかわからずフリーターとして生活をしていたが、そのときに見たのが荻田さんが出演したTV番組だった。
ここしばらく、身の回りに起こることに興味がなかった小菅さんだが、この番組を観ているとき、自分のなかに「行ってみたい」という気持ちが湧いたのを感じた。そして荻田さんのことや極点冒険のことを調べ始めたのだ。
この切り替えは聞いていてビックリした。そこでひとつの仮説を立てた。それは「大人しそうに見えるけど実はかなりアツさを持つ人なのではないか?」ということだ。
小菅さんも通った義務教育から高校、大学のルートはいうまでもなく人生の定番。レールの上を行く感覚でその道を行くのに深く考える必要もない。でも、そんな環境では心は燃えにくい。とくにアツさを秘めた人の「やる気スイッチ」は往々にして押しにくいところにあるので、レールの上を行く程度の刺激ではスイッチの近くを触る機会すらない。だから燃える機会がなかったのだ。
しかし、荻田さんを知り、話を聞き、極点にひとりで歩いていくという常識外れを目にしたとき、自分で意識せずともスイッチに手が届いてしまったのではないだろうかということ。
「この遠征はふだんから山歩きや冒険っぽいことをしている人が次のステップとして選ぶものかもしれませんが、自分の場合は“なにもわかっていないからこそ”踏み込んできたのかもしれません」とアツイ人らしい本当の言葉が聞けたときに、先ほど立てた仮説は確信に変わった。
合宿では重いソリを引いて何キロも歩く訓練や極寒のなかでのテント泊をやる。それに集会所にいても常に集団生活なので自分だけの時間はほぼなく肉体的、精神的ともに楽なものではない。
その状況をどう感じているかと聞いてみると「不安はあります」と答えたが続けて「でも参加したことに後悔はありません」という。
そして集まった仲間に関しては「いろんな人がいておもしろい」と感じるが、だからといって他人の性格を羨ましく思ったり、自分を比べてみて劣等感を持ったりすることはないという。この点は以前から持っていたマイペースさの発揮だが、火がついたあとなので無気力ではなく「余裕」といえる感じだ。
それまではこちらの質問に対して答えていた小菅さんがインタビューの後半、初めてこちらの言葉を待つことなくいってくれたのが「遠征のことを知って、行きたいという意思表示をしたことで、合宿に参加することができました。ここまでずっと北極のことが頭にあり、そこに行くんだということを目標に生活をしていたら、目標を持つことが面白いことだと思うようになりました。この遠征が終わって帰ってきて、次に冒険をやらないにしても、なにか目標を見つけてそこに向かっていきたいと思ってます」ということだった。
今回の記事は“カエる”をキーワードに取材をしてきたが、この言葉を聞けばわかるように小菅さんに関してはカエるという段階は通り過ぎていた、そう「もう変わっていた」のだった。
文・写真/深田 昌之